山ノ上碑


「上毛三碑」のひとつで、三碑の中では一番古いものになります。
他、二つの碑は多胡碑金井沢碑でして、近隣に存在します。
この碑がある横には山上古墳もあり、石碑の文章と合わせて見学ができます。
古墳の中に埋葬されている人物がはっきりわかっているという全国でも珍しい部類に入る史跡です。

近くに専用の駐車場があり、そこから歩いて1分程度で写真にある史跡の入り口があります。
その名のとおり「山ノ上」階段きつい
一度、平地があってまた階段・・・
上りきると、覆堂が見えます。普段は扉がしまっていますが、訪問した日は団体客があるらしく市職員が待機してて、開けてくれました。ラッキー!
普段は窓の外から見るだけですが、この日は実見!お触りNGですが写真はOKとのこと。
現地の説明看板です。
現地の説明看板の古いほうです。近々撤去とのこと。
碑文の拓本を印刷したものが覆堂の壁面に掲示してあります。


碑文にはこういう事が記されているようです。
『<碑文>
 辛己年歳集月三日記
 佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此
 新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児
 長利僧母為記定文也 放光寺僧
 <現代語訳>
 辛己年(西暦681年/皇紀1341年)の歳の十月三日に記す.
 佐野三家を定め賜うた健守命の孫の黒売刀自.これが
 新川臣の子である斯多々弥足尼の孫の大児臣に嫁いで子が生まれた.
 それが私(僧の長利)であり母の為に記し定めた文なり.私は放光寺の僧.』

まぁ、一見すると何がなんだかわかりませんが、昔の文章ってこんな感じなんでしょうね。

横にある山上古墳に埋葬されているのは黒売刀自という女性であり、放光寺の僧である長利の母だそうで。
で、新川臣の子である斯多々弥足尼の孫の大児臣が長利の父親ですね。

山名城の入り口も、この史跡近傍になります


関連ホームページはこちら↓
高崎市HP山ノ上碑


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