金井沢碑


「上毛三碑」のひとつです。
他、二つの碑は多胡碑山ノ上碑でして、近隣に存在します。
江戸時代に発見されたときは、近所の人が洗濯板として使っていたとかなんとか。

県道からひゅっと入る感じの細い道に入ります。見つけにくい
入り口。駐車場は3台くらいは止められそうです。東屋等がありました。
駐車場から2分くらい山道を歩くと覆堂が見えます。普段は扉がしまっていますが、訪問した日は団体客があるらしく市職員が待機してて、開けてくれました。ラッキー!
普段は窓の外から見るだけですが、この日は実見!お触りNGですが写真はOKとのこと。
覆堂の壁面に、碑文の拓本を印刷したものが掲示されています。
現地の説明看板です。


碑文にはこういう事が記されているようです。
『<碑文>
 上野国群馬郡下賛郷高田里
 三家子?為七世父母現在父母
 現在侍家刀自他田君目頬刀自又児加
 那刀自孫物部君午足次蹄刀自次乙蹄
 刀自合六口又知識所結人三家毛人
 次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口
 如是知識結而天地誓願仕奉
 石文
 神亀三年丙寅二月廿九日』

ちょっと、現代語に直せる自身がありません。
神亀3年(西暦726年/皇紀1386年)の2月29日に立てられたものです。
一列目は、碑文を記した人(ないし集団)が住んでいる地域
二列目は、三家(みやけ)の子孫が現在の父母含め8代さかのぼって〜という文章
三列目〜七列目は、多分、名前だと思いますが、この辺がよくわからないです。
八列目は、天地に請願を奉って、如是知識(多分仏教のこと)に帰依します・・・という意味かな。

まあ、総じて書くと「われわれ上野国(中略)高田里に住む三家の子孫はご先祖様を大事にして、仏教を深く尊びます」という事と思われます。


関連ホームページはこちら↓
高崎市HP金井沢碑


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