山名城
根古屋城との分岐箇所。比較的道もよく、雨の後等でなければ普通に歩けます。 | |
分岐の手前にある説明看板。 |
山名城址 源義家の孫新田義重(一一一六)−(一二〇二)の子義範は、 この城に拠って山名氏と称し、以降八代山名城を護ったという 東西四五〇m、巾のもっとも広いところは二の丸の部分で 南北一三〇m、この城は築城法からみて、弓矢だけの時代でなく 鉄砲が使用された時代の普請であることがかわるそうである。 南北朝時代信濃南朝方の関東での橋頭堡として、寺尾上城(乗附)、 中城(寺尾)と一連の名称で寺尾下城とか前しろとよばれている。 それにもかかわらず、前二城よりはるかに進歩した築城法によって 作られているのは、この城が戦国時代になって木部城の要害城として 改築されたためである。 |
---|
木製階段が整備されているので急傾斜でも上りやすいです。 | |
郭の縁を通る形でしょうか、歩道が整備されています。冬なので涼やかですが夏は軽装のほうがいいかもしれません。 | |
掘切の跡でしょうか?ちょうど二の丸と本丸の間かな。 | |
本丸に上がる階段です。 | |
本丸跡は公園のように整備されていました。展望台等もあります。 | |
本丸跡にあった石碑。衆議院議員木部○○(木部佳昭氏だろうか?)の揮毫でしょうかね。木部氏の要害城だったことの由縁から? | |
石碑近くの説明看板。ところどころ擦れていて読めませんでした・・・高崎市関係者様、ぜひ整備のほどを(笑) | |
展望台から見た高崎市内方向。木が邪魔ですが、遠望には良い場所のようです。 |