木部神社


木部神社は榛名山のふもとにある榛名湖畔に建立されている神社です。
榛名湖畔はこんな感じです
ワカサギ釣りやボート漕ぎ等が有名です
 真ん中の山は榛名富士。
ロープウェーで山頂付近まで行けます。

神社の創建には木部姫伝説があり、概要は以下の通りです

木部姫は一説には西上州の国人衆である「箕輪衆」を束ねている長野業政の四女と言われています
木部城の城主である木部範虎に嫁ぎ木部姫と呼ばれるようになりました。
(長野業政の四女であるかははっきりとしたことは分かりませんが、木部範虎の細君がこの伝説の核である事は間違いないようです)

西上州は武田信玄の上州攻略に苦しめられますが、木部城も落城し、範虎と木部姫は一族郎党とともに箕輪城にはいります。
ですが、業政は既になく箕輪城は落城寸前に追い込まれました。
落城に至る前、木部姫は腰元を連れて、家来に守られて城を脱出して榛名山に避難しましたが、落城の報や味方の戦死の連絡が来るばかり。
悲嘆に苦しんだ上に「敵の手に落ち生恥をさらすは武門に生まれた身のなすべき事にあらず」との思いに至り、彼女は榛名湖に入水してしまいます。
家臣達が呆然と見ている中で、腰元の一人も姫を追って榛名湖に身を投げます。
すると姫の体は一匹の龍と化し、天高く駆け登っていきました。
腰元は蟹となり、龍と化した姫のために湖の水をいつも綺麗に保つこととなりました。
このため、どんな濁り水が川から来ても榛名湖は清らかなままであるとか。
残った家臣は榛名山の麓で帰農しますが、姫の祀るために湖のほとりに「木部神社」を建立しました。
これが現在の「木部神社=御沼オカミ神社」の事のようです。
(※「オカミ」とは「雨かんむり・横並び口三つ・龍」と言う字を書き、記紀神話による水神です 参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/淤加美神)

なお、現地の神社名の由来書きや標柱には「御沼オカミ神社」と書かれています。
 神社遠景
全体としての規模はそれほど大きくありません。
 本殿です。
本殿の左に見えるのが、木部姫の供養塔のようです。
 神社の由来が書かれた説明看板です。
鳥居の脇にあります。


場所はこちら


でも、神社前のバス停名は「木部神社前」
このテキストの表題を考えるにあたって「オカミ」の字が出なかったので、木部神社にしてみました。
 神社の目の前のバス停
バス停名は「木部神社前」

ただ、榛名湖入水伝説は上記の木部夫妻のほか、渋川義基及びその夫人の伝説もあります。

概略を述べますと埼玉県蕨市にある宝樹院というお寺に渋川夫妻の墓があり、そこには永禄十年に上総国三舟山合戦にて討死で戦死した渋川義基があります。
その義基の墓の横に亭主の戦死を悼んで榛名湖に夫人が入水したという伝説が残されているそうです。
宝樹院の付近には蕨城(現在は城址公園)があり、渋川氏は扇谷上杉氏→後北條氏と主家を変えながら現在の蕨市周辺を所領にしていたようです。

不思議な事に木部姫による落城後入水伝説は永禄九年(1566年)
義基討死による渋川夫人の榛名湖入水伝説は永禄十年(1567年)

と、さほど時期が離れていない中で二つの伝説が残されています。
渋川氏も清和源氏流足利氏として足利義顕が上野国群馬郡渋川に土着し、渋川氏を名乗ったことに始まりますのでまんざら群馬とは無関係なわけでもなし。
その後渋川氏は足利尊氏に従い全国を転戦し、武蔵や備後等にも子孫を残しますが、一番有名なのは九州探題を歴代務めた事でしょうか。

「木部神社」という名前も、遠方にいた渋川氏より近所の木部氏のほうが地元の方の記憶に残りやすかったので地元では古くから「木部神社」と呼ばれていたというあたりでしょうかね。


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