木部範虎 〜落城と木部姫伝説〜


永正七年(1510年)〜天正十年(1582年)

木部氏は能登守護である吉見氏の後裔とされています。
吉見氏は源範頼(源頼朝の異母弟)から出ている河内源氏の一族です。
吉見氏の一部が上州の木部(現在の高崎市木部町辺り)に土着したのが始まりです(石見国木部郷説もあり)。

通称は駿河守。
箕輪衆に名を連ね、長野業政の娘(四女)を娶っていました。

長野氏とともに関東管領上杉氏に仕えていましたが、上杉氏が越後に逃亡した後は業政とともに西上州を守っていました。
何度も武田軍と交戦を繰り返しながら業政が病没すると事態は風雲急を告げます。

永禄九年の総攻めの際は木部城(現在の高崎市木部町の心洞寺辺り)と、後詰の城である山名城が落とされ木部範虎は箕輪城に詰めます。
ここでも激戦が行われますが、箕輪城は衆寡敵せず落城します。

落城に至る前、範虎の妻は腰元を連れて、家来に守られて城を脱出して榛名山に避難しましたが、落城の報や味方の戦死の連絡が来るばかり。
悲嘆に苦しんだ上に「敵の手に落ち生恥をさらすは武門に生まれた身のなすべき事にあらず」との思いに至り、彼女は榛名湖に入水してしまいます。
家臣達が呆然と見ている中で、腰元の一人も姫を追って榛名湖に身を投げます。
すると姫の体は一匹の龍と化し、天高く駆け登っていきました。
腰元は蟹となり、龍と化した姫のために湖の水をいつも綺麗に保つこととなりました。
このため、どんな濁り水が川から来ても榛名湖は清らかなままであるとか。
残った家臣は榛名山の麓で帰農しますが、姫の祀るために湖のほとりに「木部神社」を建立しました。
これは現在の「御沼オカミ神社」の事のようです。
(※「オカミ」とは「雨かんむり・横並び口三つ・龍」と言う字を書き、記紀神話による水神です 参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/淤加美神)

これが榛名山に伝わる「木部姫伝説(木部長野姫伝説)」です。
似たような話は全国にありますし、付近の寺社でも木部姫の夫は木部定朝であったり木部氏とは関係なく木部に住む美しい娘が井戸に身を投げる話だったりと、バリエーションが多いです。

さて、妻が龍に化して天に昇った時、落城した箕輪城に詰めていた木部範虎はどうなっていたでしょう?

実は生きて落城後に武田氏に降っていました(笑)
奥方・・・少し早まったんでないか?

その後、武田氏の下で「木部十騎」と呼ばれる猛者達を引き連れ武功を重ねますが武田氏は長篠の戦にて敗退し、徐々に衰微します。
木部十騎:萩原壱岐守・田口石見守・田中美濃守・増尾新兵衛尉・高橋出羽守・松原織部正・戸塚又助・田口采女正・小池和泉守・富澤又左衛門
やがて天正十年、天目山の戦いで勝頼は自害し、木部範虎もその地で討ち死にしました。
享年72歳

木部氏の子孫はその後北條氏に使えますが秀吉に敗れた後の詳しい消息はわかりません。
一部は徳川幕府の下で旗本に成ったとも。
ただ、山名城の城址碑の揮毫は「衆議院議員 木部○○」とあった事から、何らかの縁は続いていたと思われます。

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