徳川忠長の墓


高崎市にある大信寺の墓地に、“駿河大納言”徳川忠長の墓があります

なぜ、群馬にあるのか?という事については上記リンクを参照してくださいませ。
以前は立派な廟があったようですが、戦災で失われたとのこと。

死後、しばらくは許されず墓所もなかったようです。
しかし死後四十三年たって赦免され墓の建立が認められたとのこと。
既に兄家光は無く、忠長の甥である四代将軍家光の時代でした。
それでも、墓はしばらく鎖で繋がれており「「鎖のお霊屋(たまや)」と呼ばれていたようです。
相当、お兄ちゃんに嫌われていたんでしょうねぇ・・・

 高崎駅(西口)から徒歩5分かからず。
お寺の墓地を囲む土塀の上に看板あり。

入口は主要通りの反対側にあります。
民間の墓地の中にありますのでくれぐれも無礼の無いようにお参りしましょう。
 こちらが徳川忠長の墓
説明看板には忠長の概略や戒名、五輪塔の説明等が記されていました。

ちなみに市文化財としては、このお寺に伝わる忠長の位牌他数点の文物も同一で文化財指定されているそうです。


他のサイトの写真等では石扉がチェーンで閉塞されている物もありましたが、訪問した際はそういう事はありませんでした。
線香台とお賽銭入れがぶら下がるのみ。
お賽銭を入れ、合掌黙祷させて頂きまして現地を去ることとしました。

場所はこちら
大信寺と明徳幼稚園は敷地および入口が同一です。


時間によっては幼稚園児の送迎に遭遇するかも。
誤解されない服装と態度で行動しましょう(笑)

関連サイトはこちら
高崎市HP 徳川忠長の墓


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