富岡製糸場



上毛カルタの「に」を飾る群馬を代表する近代工業遺産です。
(日本で最初の富岡製糸)

養蚕は弥生時代に大陸から伝わり、その頃から全国のたくさんの地域で生糸が作られていました。
しかし品質的には大陸産に及ばず、相次ぐ戦乱で養蚕業を行う地域も限られてきました。
特に有名なのが、陸前、下総そして上野です。

明治維新の後、富国強兵のスローガンのもと近代化に邁進し始めた日本。
その中で対外輸出できる品目の一つに生糸がありました。
生糸の輸出については開国以来江戸末期から大々的に行われていました。
ですが、品質の面等で問題があり(粗製濫造)、問題を解決するために政府は外国技術の導入に踏み切ります。

そこで、お雇い外国人としてフランスよりポール・ブリューナを招聘し、群馬県富岡に近代的な製糸工場を立ち上げました。

それが「富岡製糸場」です。
歴史の教科書にも載ってた気がします(多分)。
富岡が選ばれたのは、上州では昔から養蚕が盛んであったたため原料の入手が容易であること。
また、高崎近辺で向上の蒸気機関を動かすための石炭が算出したことなどが上げられます。

明治政府は富岡製糸場で働く工女も募集しましたが「異人に生き血をしぼりとられる」等の噂により中々人は集まりませんでした。
そこで、富岡製糸場を設立の担当者である初代場長の尾高惇忠は、自らの娘を工女にするとともに政府は各県に募集人数を割り当てました。
そうすることにより、和田英などの士族の娘が集まり、工場を操業することとなりました。

 入って正面に見える重文「東繭倉庫」
レンガ造りが荘厳です。ってかほとんどの建物がレンガ製なんですけどね。
 敷地内にある記念碑です。
 重文「繰糸場」
繭から取り出した糸を紡績する工場です。どの建物もレンガ目地にセメントではなく漆喰が用いられています。
 重文「検査人館」
出来上がった生糸の品質を検査する場所です。
 館内にあった明治の操業当時の富岡製糸場の全景です。昭和62年まで紡績は続けられました。
 重文「西繭倉庫」
 ブリューナが住んでいた重文「ブリューナ館」


平成16年段階で、群馬県は繭の収穫量は日本一で全国の約4割以上を群馬県で算出しています。
上毛かるたの「ま」の札のとおりですね。
(繭と生糸は日本一)
ただ、全国的に養蚕業は衰退の一途をたどっており、今後が危ぶまれています。


関連ホームページはこちら↓
富岡製糸場世界遺産推進ホームページ


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