高崎城
高崎市役所の周辺にある城址碑と説明看板。各種開発により遺構関係施設は、三の丸外郭の土塁と堀が残り、下記にある櫓や門が復元移築されました。 | |
三の丸の堀 | |
市内某所より昭和55年に移築された三の丸東門 | |
東門と同じく市内某所より昭和52年に移築された乾櫓 | |
乾櫓と東門の説明板 |
『(前略) 高崎城の築城は慶長三(一九五八)年、井伊直政によって着手されるが、その後、藩主は目まぐるしく替わり、元和五(一六一九)年に 安藤重信が入部して、元禄八(一六五九)年までに三代にわたって在城し、城と城下町の整備にあたっている、享保(一七一六〜一七三六) ことの著作という「高崎城大意」には、三代の重博が、平屋の土蔵の様でしかなかった乾櫓を二層の櫓に改築したとの記事があるが、 これと様式的に見ても矛盾はなく、十七世紀末の建築と推定されている。 その後、東門とともに下小鳥町の農家に払い下げられ納屋として利用されていたが、県重要文化財の指定にともなって、昭和五十四年 この位置に移築復元された。初層の戸口の位置は納屋として使用されていた時期を踏襲しており、屋根瓦は当時の資料によって復元された ものである。両側の鉄砲狭間をあけた塗り込め塀は、修景のためのものである。』 |
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