白根湯釜遺跡



上毛の西北に鎮座し、草津町の温泉の源を作る霊峰 草津白根山

志賀草津道路により長野県への通り道になるとともに、湯釜は観光地として有名です
特に火口湖として酸性度日本一である事は特筆すべき点でもあります。

そんな白根山火口の湯釜から、中世の笹塔婆が発見されたのは昭和35年の事でした

 湯釜登り口から見た遠景
 湯釜
エメラルドグリーンが綺麗です

写真が見きれてしまっていますが、火口湖の右岸側から笹塔婆が大量に出土しました

遺跡箇所は概ねこの辺です (群馬県文化財情報システムによる)


「漫画草津町誌」の資料編によれば、昭和35年(1960年)に湯釜のふちの硫黄の堆積層から笹塔婆が多量に発見されたそうです。
笹塔婆というのは、修験者が持ち運びに便利なように長さ20cm程度のコンパクトな形に切りだした卒塔婆です。
湯釜縁から出土した笹塔婆は保延四年(1138年)前後の物と推察され、血盆経の一節が書かれていました。

上記漫画草津町誌によれば「草津開湯伝説に行基開湯説があるが、実際は修験者が発見したものを行基発見と仮託した」という考え方が記されています。
小生も基本的には同意です。
ヤマトタケル開湯伝説も同様のものであろうと思われます。
保延四年に既に修験者が草津に来ているなら鎌倉時代には草津の存在は知られていた可能性が大いにあります
そうなると、源頼朝が来草していたという伝説も、信憑性を持って納得できます。
(頼朝開湯伝説は、武士が社会の中枢を担うようになってから広がったと推察)


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