白根神社


白根神社の創建は古いようで、その発祥は定かではありません。
草津白根山そのものは、古くから山岳修行の山として山岳信仰が盛んであったようです。
発掘調査などでも、それらしい遺構や道具が出る例があったようです。

貞観5年(西暦863年/皇紀1523年)に式部省が諸国に「各々の国の神社一覧を作成して提出するように」という指示を出したようで(日本三代実録による)、それによってかそれ以前かは細かい点ではわからないものの作成された『上野国神名帳』によれば、白根神社の祭神である白根大明神は「吾妻十二(十三)社」の中で従一位の格を誇り、第一位に記されています。
浅間明神が従三位ですから、吾妻郡内では一番格の高い神様だったと当時は認識されていたようです。
また、従二位も「小白根明神」ですので、白根山関連の神様と思われます。
(ちなみに上野国第一位は抜鉾明神の貫前神社です。)

現在は町内のひっそりとした公園の近くに鎮座していますが、恐らく昔は白根山のしかるべき場所にあり、かつ、現在は道の駅になっている昔の有料道路の料金所があった場所が、下社のように白根神社の遥拝所があったようです。
明治5年に、現在の場所に遷座したとのこと。

祭神はヤマトタケルノミコト
ここも、大宮巌鼓神社と同じように、ヤマトタケル伝説の影響が見て取れますね。
日本書紀ルート
伝説によれば、草津温泉を発見したのもヤマトタケルという話もあります。

なお、毎年7月17・18日は、白根神社祭りということで町を挙げてのお祭りになりまして、白根神社発で御神輿十数基が町内を地区毎に練り歩く事になります。
小生も子供のころ担いだ記憶があります・・・ 重かったくらいしか覚えていませんがw
    
 湯畑と西の河原を繋ぐ通りの一つ「湯滝通り」から上る階段。結構急勾配(^^;
でもお祭りの時はここを神輿が上り下りするんですよねぇ。
 階段を登り切って少し歩くと見えてくる鳥居と本堂。祭りや七五三の時期以外は本当に閑静でいい雰囲気です。
 神社には必須の御手水。
さてお清めしようかなぁ〜と近づくと・・・
 柄杓が無いという軽いフェイント!(笑)写真は数年前のものなので、さすがに今はあると思いますw
 境内のちょっとしたところにある謎の御社。これが小白根明神かな・・・・?
 境内にあった六角石塔。近くにあった説明板には『六角石憧供養塔/この塔には、延享3年(1746)湯本治雄の妻恒子が法華経を信仰して、10名の僧を呼んで法華経1,000巻を読誦し先祖を供養したことが記されています。また、隣に享保16年(1731)湯本治雄が建てた宝篋印石憧供養塔があります。いずれも、当時の民間信仰を知る貴重な文化財であります。湯本治雄は草津の名族湯本三家のうち湯本安兵衛の当主で、俳諧をたしなむ文人でした。塔の敷地は明治5年(1872)頃白根神社境内地になりました/草津町観光協会』と記してありました。

    その他、神社に隣接する囲山公園には高村光太郎や十返舎一九の碑があります。

関連ホームページはこちら↓
草津温泉観光協会HP


とっぷに戻る / 史跡に戻る

inserted by FC2 system