大胡城
上毛電鉄の大胡駅から1kmくらい。 徒歩10分程度北上するとあります。 県道16号を左に入る小道に城跡への入り口があります |
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本丸跡。広場になっていて車でも入ってこれそうな感じです。 | |
本丸から前橋市街をビュー | |
土塁・虎口なんかもしっかり残っています。 | |
二の丸跡。タイヤ痕があったので車で来る人も多いようです。 | |
説明看板です 内容は後述。 |
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石垣の痕跡もありました。 |
『 城跡は、南北に走る丘陵上にある平山城で、本丸を中心に二ノ丸を 囲郭的に配し、北に北城(越中屋敷)、近戸曲輪、南に三、四ノ曲輪 があり、東は荒砥川が流れ、その間に根小屋、西には西曲輪の平坦部 が附加され、南北670メートル、東西最大幅310メートルの規模を持つ。 枡形門、水ノ手門虎口、空堀り、土塁等の跡が良く残っている。中世上 野の名族である「大胡氏」が拠ったと言われている。 天正18年(1590))徳川家康の関東入部により牧野氏が大胡領2万 石に封ぜられ、康成、忠成二代の居城となった。 牧野氏は元和2年(1616)に越後(新潟県)長嶺へ、そして長岡へと 転封された。以後、大胡城は前橋藩領となり、酒井氏時代には城代が 置かれたが、寛延2年(1749)酒井氏が姫路へ転封に際しし廃城となった。』 |
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