沼田城



享禄五年(西暦1532年/皇紀2192年)の頃、沼田顕泰により利根川付近の河岸段丘に築城された丘城です。

この城は、まさに上州の戦国乱世を体現するような変遷に満ちています。

顕泰により築城された後、関東での台頭目まぐるしい北條氏により奪取されます。
その後、上杉憲政を奉じた長尾景虎(後の上杉謙信)が越山し、越後勢に攻め取られ、関東計略の拠点となります。
上杉謙信が死去し、御館の乱では沼田城代本庄秀綱は景虎側につき敗北、後、北條氏による再奪取。
上杉景勝・武田勝頼が同盟した事により武田氏による沼田攻略を上杉氏が承認、真田昌幸により奪取されます。
武田氏滅亡により真田氏が上田とあわせて沼田で大名として独立。
豊臣秀吉の裁定にて、沼田城は北條氏の所領と決定(昌幸は名胡桃城へ移動)。
北條征伐の後、再び真田氏の所有へ(城主は昌幸長男・信之)。
関ヶ原後、真田信幸の所領として確定、上田藩の飛び地となる。
松代藩へ領地換えとなるも、沼田はそのまま真田氏の所領。
真田氏のお家騒動を契機に、松代・沼田は分離し、兄弟でそれぞれ継承。沼田藩が立藩。
沼田藩主の暴政により藩取り潰し、沼田城は破却され堀はすべて埋められる。
最終的には本多氏により再立藩し、沼田城は藩庁舎機能のみ再興。
黒田氏→土岐氏と続いた後、明治維新・廃藩置県となりました。

現在は、旧沼田藩士の久米民之助が公園として整備した後、市に寄付され公園として使用されています。
 沼田市内を抜けると見えてくる公園。
駐車場がちょうど三の丸付近のようです。
 公園100選にも選ばれている「沼田城址公園」
 沼田城の説明看板です。
 立派な城址碑。意外と新しそうです。
 沼田城址の保存に尽力した旧藩士久米民之助の説明書き&写真
 奥に見えるものが、鐘櫓で、櫓は復元だが、中にある鐘は江戸時代のもので群馬県重要文化遺産に指定されています。
 御殿跡の石垣
 樹齢400年の御殿桜
 この石は「平八郎石」と言いまして沼田城奪還を目指して進軍中の沼田平八郎景義は、当時の城主金子泰清にだまされて殺害されます。その際に首を置いた石といわれています。亡骸は沼田大明神として丁重に埋葬されたが、首は体を求めて飛び立ち、亡骸のある場所まで飛んできたという伝説があります。
 城下の遠景。見晴らしはとてもよい場所です。

公園内には野球場やテニス場があり、市民の声が響いていました。
また、生方家住宅や土岐家住宅等の近代建築も残っています
(国指定重要文化財)

関連ホームページはこちら↓
沼田公園


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