七興山古墳


群馬県は隠れた古墳王国であることは、知る人ぞ知る話だと思います。
すべてを回りきれるわけじゃありませんが、いずれフィールドワークのような事をやってみたいと思っていました。

意外と早く機会が巡ってきたので、いろいろ見てきました。
ここを見ると同時に藤岡歴史館を一緒に見ることをお勧めします。

さて「七輿山」という名前の由来ですが、藤岡市・吉井町周辺に伝わる羊太夫の伝説からきています。
上記の朝廷からの討伐軍に敗れた羊太夫の女房ら7人がここで自害し、それぞれ輿に乗せ葬ったので「七輿山」と言う名称になったと伝えられています。
そうすると、必然的に羊太夫伝説は6世紀前半の話と言うことになりますので、西暦で言うと500年〜550年という事になりますか。

が、550年前後といえば聖徳太子も生まれていない古墳時代。
果たして伝説の真相や如何に?

まぁ、この場は古墳の紹介でとどめて置くとしますが・・・

藤岡歴史館から車で5分とかからぬ場所にあります。
駐車場もあるので、比較的見学は容易です。
ぐるっと外周を回れるようになっています。
春先には桜が咲き誇っているらしいです。
碑と看板、この奥には何基もの墓碑や供養塔があり、入っていいのかもしれませんが、入らず一礼して立ち去りました。一緒に歩いていた子供たちもビビってました。
七輿山古墳説明看板『この古墳は、周辺の地形を利用して造られた算段築成の前方後円墳です。 大きさは全長146m、後円部径87m、前方部幅106m、高さは前方部・後円部高さは16mです。 四回にわたる範囲確認調査で、墳丘の周りに内堀・中堤帯・外堀・外堤帯・埴輪列が明らかになりました。 また、前方部前面にはコの字状に三重目の溝が巡っています。 出土遺物は円筒埴輪、朝顔形は庭のほかに人物・馬・盾などの形象埴輪があります。 特に、円筒埴輪は七条凸帯を融資、径50p、高さ1.1mの大型品です。 古墳の埋葬施設は不明ですが、出土遺物から六世紀前半に造られたものと考えられます。』
全長145m/後円部径87m/前方部幅106m/高さは前方部・後円部ともに16mの大きさです。藤岡市のHPと現地説明看板では大きさが微妙に違います(笑)
全国的には76位の大きさです。東日本9位/群馬第5位の大きさです。
それでも、全国にある古墳のうち、大阪・奈良にほとんどが集中している事を鑑みると相当な規模である事がわかります。
出土品等は近傍にある藤岡歴史館をはじめ、県内の歴史関連施設や研究施設、東京の博物館等に多数に渡り展示されています。
東国毛野王朝、歴史ロマンを感じさせる場所でした。

東国毛野王国については、これからいろいろ調べて行きたいと思っています。
この古墳の他、東日本最大の前方後円墳である天神山古墳もある群馬県

七輿山古墳の場所はこちら


上毛の古墳は日本の古代を知る上でとても重要な何かを秘めているような気がします。
群馬内の古墳を回るだけでも大変でしょうけど・・・

関連サイトはこちら↓
藤岡市HP 七興山古墳


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