桃瀬の水牢
注意しながら見ないとなかなか見当たらない感じで案内板がひっそり佇んでいます。 | |
近づいて見ると、錆び錆びです・・・ | |
説明板ですが、撮影時は見えたのに何故か写らない・・・メモから書き起こした内容を記しておきます。『町史跡 桃瀬の水牢跡/指定年月日昭和54年3月8日/水牢は人を水の中に入れる水責めの一種でおもに年貢のとりたてに使われたといわれる。/水牢跡は近世の沼田藩の中で吾妻東部だけに残されている遺跡であり、8ヶ所ある中でこの跡がもっともよく原型を残している。記録には、12m四方に粗朶(そだ)をゆい、木戸を設け、周囲は石垣で、女は水を70cm位にし、子供のある者は背負わせ単衣(ひとえ)にさせ5人ぐらいを袖に縄を通してつなぎ入れたといわれる。男は首のつかるまで入れたといい、体温低下により死んだ者もいたといわれる。この悲惨な姿を見て、人々にすがり年貢を納めたのだといわれている。吾妻東部にしか見られないものなので、中世における岩櫃城主斉藤越前守(岩下衆)が使ったものと推定され、それを近世になり真田伊賀守も使っただろうと考えられている数少ない遺跡で貴重なものである。/平成2年3月/中之条町教育委員会』 | |
水牢本体。桃瀬川が近傍にあり、水も湧き出ているようですので、こんなとこに浸けられたら寒くて大変そうです。年貢を納めないと地獄のような責め苦を科されるわけですね。信利が改易されたのも頷けようというもの。 | |
石碑と案内板を撮影。やっぱり案内板真っ白・・・ハレーションか何かだと思うけど。 |