黒井峯遺跡


昭和57年、子持村の周辺でよく採取される軽石を掘っていた時のこと・・・
軽石の下から何かが出てきた事から、日本では類を見ない驚愕の遺跡が発掘されました。

その遺跡は「黒井峯遺跡」と命名されました。

周辺の軽石層をどんどん掘り下げていくと出るわ出るわの大遺跡!

発掘が進むにつれ判明したのは、遺跡の年代はおよそ1400年前、6世紀前後の集落の様子
しかも、古代のムラ全体がすっぽり埋まった形での遺跡と言う事がわかります。

地中海はイタリアにてヴェスビオ火山の噴火で埋もれたポンペイ遺跡を彷彿とされる遺跡の状況に関係者はこう呼びました。

「まさに、日本のポンペイだ!」

火山の多い群馬では、有史以来何度もの火山噴火の記録があります。
黒井峯遺跡を埋め尽くした軽石層の原因は6世紀に2度発生した榛名山の大噴火の影響だった事がわかりました。

遺跡を発掘すると、今までの想像とは違う、しっかりした「農村」のような形が見えてきたそうです。
特に二度目の噴火では短時間で軽石が降り積もったため、住居や堀、畑や柵に道等が良好な形状で確認されました。

発見された昭和57年から昭和63年まで5回にわたり発掘調査は行われました。


 道を走っていると唐突に現れる案内看板
道も1車線で、農道のようです
 遺跡の簡単な説明

『黒井峯遺跡は、今から約1400年前の古墳時代に榛名山二ツ岳の爆発により噴き上げられた大量の軽石で一瞬にして埋もれた廃墟の村です。
 数時間降り続いた軽石は厚さ2mにも達し、住居も道も畠もすっぽり覆ったため、当時の村の様子や村人の暮らしぶりが発掘調査により詳しく解明されました。黒井峯遺跡は日本のポンペイとも言われています。』
 少し行くと遺跡碑と詳細な説明看板のある広場(のような場所)があります。
 説明看板・・・・
 説明看板左側・・・
 説明看板右側

・・・・

県立歴史博物館で詳細をご確認ください(笑)
 遺跡の史碑
説明看板の横に、そびえております。
 奥に見えるのが子持中学校
周りは平野が広がります・・・

これほどの遺跡なのに、なんか扱いが小さいです。
平成3年に国指定史跡になっていますが、今はだだっぴろい段々の草地が広がるばかり。
記念館や博物館くらいあってもいいと思うに・・・
発掘品は渋川市役所子持支所(旧子持村役場)の横の施設に展示されています。
他、県立歴史博物館等にも一部展示されています。



今後は公園化を期待したいところではありますが、さて現状はどうなんでしょうかね。

関連サイトはこちら
渋川市観光協会ホームページ


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