光泉寺


草津温泉の名実ともに中心地である湯畑
その湯畑を文字通り山の上から見下ろす形で鎮座しているのが「光泉寺」です。
真言宗の寺で、山号は「草津山」・・・そのまんま。

古くは草津温泉の開湯伝説にもつながります。
光泉寺の開基は養老5年(西暦721年/皇紀1381年)に民間僧である行基が当地で「万病に効く光る泉を発見」し、薬師如来を祭る薬師堂を建てた事に由来します。

行基・・・有名ですね。
弘法大師空海と並んで全国津々浦々の温泉の開湯伝説を残しております。
実際に行基が当地を訪れたかどうかについては、確かめようがありませんけど・・・

その後はどういう経過をたどっているのか詳しくはわかりません。
寺暦によると白根明神別当として正治2年(西暦1200年/皇紀1860年)に草津領主であった湯本氏が再建したとのこと。
再建・・・という事は廃れていたんでしょうかね?

ちなみに、草津温泉の開湯伝説には、源頼朝によるものもあります。
そして湯本氏の来歴もそこから始まる場合があるので寺暦の話との整合性があり、納得できる話です。

その後、光泉寺は鎌倉幕府から白根一帯の領有を許された地頭職として僧兵を率いるほどの勢力を持ちました。
戦国時代には猿ヶ京合戦に上杉方として参加し輝虎より感状をもらったりもしているそうです。

 湯畑から見た光泉寺。この階段を上りきると山門が出てきます。
 階段の途中にある湯善神の祠です。
 こちらも階段の途中にある不動堂。
 これが本堂です。写真が暗くてスイマセン・・・本当は赤くて綺麗な社殿なんです。
 こちらは境内にある釈迦堂。江戸時代に医者の外嶋玄賀という人が夢で釈迦堂を建てるように言われて建立したそうです。
 本堂手前にある弁天池。温泉で身も心も綺麗になった感謝を湯浴み弁天に託してお祭りしたそうです。

なお、自称といえば自称なのですが行基の建立した薬師堂は古来より「日本三大温泉薬師」の一つだそうです。
東の草津・西の有馬と、あとどれか(山中・城崎・道後)で日本三大温泉薬師だとか。
有馬や道後が「日本三大温泉薬師」を名乗っているかどうかは知りませんけど・・・


公式ホームページはこちら↓
草津山光泉寺


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