管領塚


新潟県南魚沼市にある上州絡みの史跡です
上野守護であり関東管領であった上杉顕定が越後に攻め入りったのは永正六年のこと。
紆余曲折の末、翌永正七年に長森原の戦いで長尾為景に敗北し戦死した場所が、この管領塚(の周辺)です。

関東管領であった顕定の墓所であったことから管領塚という名がついたようです。
現在は「管領塚史跡公園」として整備・保存がされています。

 史跡公園全景
訪問が冬だったので木々に冬囲いがしてあります
 2007年に行われた500年祭の時に植樹された松
「五百年祭」と石柱があります。

永正七年は西暦で1507年です。
 群馬県藤岡市の市長による追悼碑
藤岡市には管領府のあった平井城があることからの由来のようです。
 長森原の戦に関する両軍の戦没者慰霊碑
 上杉顕定の句碑
「菊咲きて あらそう秋の 花もなし」
 史跡公園整備記念碑か?
「永正七年六学廿日関東管領従二位上杉顕定公長森原合戦々死之地」
 史跡公園を示す標柱
昇り旗は大河ドラマ「天地人」に合わせて整備したのでしょうか
 この地域は「上田」と呼ばれています。
坂戸城を拠点にしていた長尾氏が「上田長尾氏」と言ったり、上杉景勝直轄の武士団が「上田衆」と呼んだりしていました。
この碑は史跡公園整備を働きかけた地元郷土史愛好会のようなものが公園整備が実現した事を記念して設置したもののようです。
 こちらは地元住民による上杉顕定及び長森原合戦戦没者への追悼記念碑のようです


場所はこちら
駐車場はありませんが、なんとなく車を止められそうなスペースがあります。

ひっそりと地元の人々に守られている史跡のようです。

関連サイトはこちら
新潟県観光協会HP 管領塚史跡公園


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