岩櫃城


東吾妻町の国道からは二か所ほど「岩櫃山登山道」というものが出ています。
どちらから行ってもこの城に辿りつく事は可能だが小生は車で移動したため、
原町の商店街を過ぎて跨線橋に差し掛かる手前で曲がり細い道を一路城跡方向へ。
郷原駅側のほうは完全に岩櫃山登山狙いのルートかもしれないので、よくわかりません。

駐車場からは本丸狙いで一気に上がれば20分もあれば本丸まで辿りつけると思います。


でも・・・


とにかく広い!

全部回ろうと思ったら、相当体力使いますよ。

小生は無理でした・・・アハw

 城跡入口にある石碑。この近くに東屋があり、パンフレット等がありました。あと登山計画書を入れる箱もあったような記憶が・・・
 いざ城攻め!と思って目に入る登山道入り口の案内。やっぱり登山なのね・・・・
 道は比較的整備されていて上りやすいです。ただ、真夏はきついかもしれません。
 本丸へ至る階段。ここまで来るだけでも、だいぶ汗をかきました。鳥の鳴き声と木々のざわめきが多少の救いですが、夏に上るには結構きついですねぇ・・・
 本丸から見えた岩櫃山全景。広大です。でも、頂上はもっと上です。要害で難攻不落を言われてもおかしくないことがわかります。西上野では最強といえるほどの防御力があったかもしれません。
 本丸広場にある記念碑と案内板。

本丸跡の碑の脇にあった案内板について、書き起こしてみます。

『岩櫃城由来記

吾妻八景を代表する岩櫃山(標高八〇二メートル)の中腹東面にあるこの城は、年代は定かではありませんが、鎌倉時代初期のころ、吾妻太郎助亮により築城されたといわれています。
城郭の規模は一.四キロ平方メートルと上州最大を誇り、後に甲斐の岩殿城、駿河の九能城と並び武田領内の三名城と称されました。
その後、斎藤氏の支配するところとなり、永禄六年(一五六三)武田信玄は上州侵略のため、重臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じました。
ときの城主は斎藤基国(または憲弘)といわれ堅城を利して奮戦しましたが、ついに落城してしまいました。
こうして岩櫃城は武田氏の手中に落ち、信玄は幸隆に吾妻郡の守護を命じました。
天正二年(一五七四)に幸隆が世を去り、岩櫃城主には長子の信綱が収まりましたが、翌年、長篠の戦いで信綱、昌綱兄弟が戦死したため、真田家は幸隆の三男、昌幸が相続しました。
その後、昌幸の長男信幸が支配し、信幸の弟幸村も少年時代をこの城で過ごしたといわれています。
天正十八年(一五九〇)北条氏の滅亡により、信幸は初代沼田城主となり、岩櫃城は沼田の支城として、重臣出浦対馬守を城代としました。
そして、幾多のドラマの舞台となった岩櫃城も徳川家康が発した一国一城令(慶長二十年〔一六一五〕)により、四百年余の長い歴史を残し、その姿を消しました。

吾妻町観光協会』

実際、吾妻助亮の築城というのは伝説の域を出ないようで、南北朝時代の応永年間に斎藤氏による築城という説が有力だそうです。
斎藤氏は上毛吾妻の地侍として勢力を誇っており、南北朝が終了した後は関東管領上杉家の被官として吾妻郡を統治していたようです。
戦国時代近くになると、さらに西に行った場所にいた羽尾氏や郷原氏と対立するようになり、
上杉家をバックにもつ斎藤氏に対抗するように羽尾氏や郷原氏は信濃に進出していた武田氏に近づくようになります。
その後は、ほぼ説明板の通りということで真田幸隆が吾妻を経略し、岩櫃城を治めることとなります。
この前後、武田信玄の西上野経略も並行して進められ、1566年には箕輪城主長野業盛が敗れ箕輪城が落城.。
西上野一体は武田家の手に落ちる事になりました。

時代が下って天正10年(西暦1582年/皇紀2242年)、再度岩櫃城が脚光を浴びる瞬間がありました。
織田信長による武田攻めにより武田勝頼は新府城を捨て逃亡の道を選びます。
織田の軍勢は南からくるわけですから当然勝頼は北を目指します。
再起を図るに当たり、勝頼は二名の重臣から「こちらに行きましょう」という相談を受けます。
一人は小山田信茂。彼は自身の居城である岩殿城に落ち延び体制を整えようと進言します。
もう一人が岩櫃城の城主真田昌幸でした。
昌幸は勝頼を迎えるために岩櫃城付近に仮御殿を造営したのですが、勝頼は小山田信茂の岩殿城を目指しました。


これが運命の分かれ目となりました。


岩殿城に向かった後、小山田信茂は離反し、勝頼はさらに逃亡する羽目になり天目山で自害してしまいます。
もし、勝頼が岩櫃城に向かっていたら、どうなっていたでしょうか・・・
本能寺直前、あの段階で小なりとはいえ武田氏の勢力が残っていたら、また別の結末もあったでしょうか。

この後、真田幸隆が城を攻略してから50年近くにわたり、岩櫃城は難攻不落のまま、廃棄されることとなりました。
真田ファンにとっては、正に聖地のひとつと言っても過言ではない岩櫃城
夏の攻略の際は、暑さ対策をお忘れなくw

関連ホームページはこちら↓
東吾妻町HP


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