一郷山城


現地の説明看板によりますと、上杉憲実が鎌倉公方足利持氏と争っている時に築城されたそうです。
関東管領の本拠地である平井城防衛のために、この山のふもとにある新堀城と一城別郭となるよう配置されました。
山そのものは牛伏山という山で、東峰が一郷山と言うとのこと。

車で頂上まで移動できて、駐車場もしっかり整備されています。
まぁ、戦国時代の城跡の山のてっぺんに立派な駐車場があるってのは少し考えものかもしれませんが。

ちなみに、付近を走る上信越自動車道からこの城はばっちり見えます。
それを狙ったんであろうとは思いますけど

 山全体のルートマップ
ほとんど舗装してある道なので、車でも比較的安易に山頂までこれます
もちろん、徒歩でも登山気分で来ることも可能でしょう
 山頂にある模擬天守
城の築城・落城の時代からすれば確実に「史実にそぐわない」シロモノ
中身は地元旧吉井町の民俗資料館的なテイストです
 頂上からの高崎方向の風景
街道監視のためには抜群の眺望です
 館内にあった吉井藩の町並みを表現した絵
何から何まで「昔の城」とは関係無いものばかり・・・
 現地にあった説明看板

説明看板には山の由来や築城の経緯が書いてあります
落城に至る理由について引用してみます

(前略)
永禄六年(一五六三)二月、西上州侵略を図る武田信玄は、平
井城(管領府)後略の緒戦として、一郷山城を攻めた。
防戦のため、山頂から落とした大石は、真下の見銘寺を押し
潰し、火災となり、城は全焼、将兵は全滅、婦女子は急崖に
身を投げ、落城した。ついで新堀城も後略された。
(後略)

・・・え〜っと・・・
自爆・・・って事でいいですか?(笑)


関連ホームページはこちら↓
高崎市HP 牛伏山の春


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