平井城



永享十年(西暦1438年/皇紀2098年)に上杉憲実が築いたとされます。
当時は鎌倉公方と関東管領の間での確執が激しく、山内上杉家としては強固な本拠地が欲しかった事でしょう。
平井城のすぐ至近に、備え城である金山城も存在します。

その後、拡張を重ねながら、関東管領山内上杉家の本拠地として名を馳せます。
ですが、上杉憲政の代に、北條氏康に攻められ、奪取されます。
天文21年(西暦1552年/皇紀2212年)の事です。
憲政は上越国境で抵抗しますが、最終的には越後の長尾景虎の下に亡命します。

永禄三年(西暦1560年/皇紀2220年)に上杉憲政を報じた長尾景虎による関東侵攻が始まります。
その際、奪還されますが、景虎は上野における駐屯地としては厩橋城を選びました。
そのため、平井城は廃城となり、廃れてしまいました。

 唐突に表れる平井城跡の場所
看板等の案内はありますが、住宅街の中にでひょこん!って出てきます。
豚舎の近くです、確か。
駐車場等もあります。
 草地・芝生等は地元の方で管理しているんでしょうか、きれいに整備されていました。
 説明看板類等も多数整備されています。関東管領の往時を偲ぶような豪華っぷりです。
 細かい物件もいろいろ残されています。
 だいぶ住宅な農地等でもとの城跡部分がなくなっていますが、とびとびで細かく残っています。
 民家の角にある三の丸跡の碑
 復元された空堀と橋


関連ホームページはこちら↓
藤岡市役所HP


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