安中城


永禄二年(1559年)に築城され、近隣にある松井田城とともに安中氏により支配されました。
西上野に武田の手が伸びると、長野業政に付き武田軍と戦います。
業政が病死すると武田の圧力に屈しきれず、当時の城主である安中忠成は武田信玄に降伏し、安中城は落城します。

その後、安中城は引き続き安中氏が滞在し、今度は対北條氏に対する武田氏の最前線となりました。
しかし長篠の戦で武田氏が大敗北を喫し、安中氏の棟梁である安中忠成(この頃は名を景繁とあらためたとも)は戦死。
一族郎党もだいぶ死去してしまい、安中城は廃棄されたようです。

時代は下って豊臣政権による徳川氏に関東入府の頃です。
安中三万石は徳川四天王の一人である井伊直政に託されました。
直政は安中城を修築し、ここを拠点としました。

江戸時代に入り、領主家は→井伊家→水野家→堀田家→板倉家→内藤家→板倉家と変遷し廃藩置県を迎えました。
その後、城はなくなり、現在は安中市文化センター(図書館とかが集合している施設)になっています。

 城があったとされている安中市文化センター
この文化センターの周辺がすべて安中城域だったようです。
車を止めて周辺を散策してみます
 文化センターから国道18号(中山道)を監視できます
奥に見える川は碓井川です。
城があった時代は堀の役割があったと推察できます。
 こんな感じで、あちらこちらに看板があります。
 安中小学校の駐車城に城址碑がありました。

安中城については、市役所のサイト等に紹介箇所がありませんでした
ほとんど何もない(調査してない?)ので、あまり史跡として整備されなかったのでしょうか?
付近には武家屋敷跡や郡奉行所跡などが再現されています。


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