悪源太義平の墓
群馬県太田市。
八坂神社の近くに「清泉寺」というものがあり、そこには悪源太義平の墓があるとの事で見てきました。
源義平は、源義朝の長男ですが母親の身分が低かったため、嫡男とはなれませんでした。
しかし長男であり勇壮な武人であったため、父義朝の片腕としていろんな合戦で活躍しました。
なお「悪源太」というあだ名ですが「悪」とは悪いと言う意味ではなく「強い」という意味です。
「源太」は「源氏の長男」という意味です。
田園風景にいきなり出てくる案内看板
此れが入り口。
おもいっきり民家っぽかったです(笑)
これがその悪源太義平の墓。
言い伝えによれば、平治の乱で破れた義平は、京都で首を跳ねられるわけですが、婚約者であった新田義重の娘が、首を持ち帰りこの地に埋葬し、寺を建立したとのことです。
ひっそりしすぎて気付きにくいかも。
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