室町時代
〜混乱、上杉支配、管領府〜


便宜上、一部戦国時代の項目と被る部分はありますがご了承ください。
南北朝の混乱冷めやらぬ全国の中で、関東はいつ止むとも想像つかない騒擾のさなかにありました。
関東公方と関東管領の対立、幕府の介入、関東公方の分裂、管領家たる上杉家の分裂等。
これらの内容が室町後期〜戦国時代につながるわけです。

(状況執筆中)

室町幕府が任じた「上野守護」は資料で確認できる中では以下の通りです。
 上杉憲房   建武二年〜建武三年
 上杉憲顕   建武三年〜文和元年
 宇都宮氏綱   文和元年〜貞治二年
 上杉憲顕   貞治二年〜応安元年
 上杉能憲   応安元年〜応安四年
 上杉憲春   応安四年〜康暦元年
 上杉憲方   康暦元年〜応永元年
 上杉憲定   応永二年〜応永十九年
 上杉憲基   応永二十三年〜応永二十五年
 上杉憲実   応永二十六年〜永享十一年

途中で上野守護は資料の上からは見えなくなります。
平井城が管領府として機能し始めていく中で、関東管領が自動的に上野守護も兼ねるようになったのであろうか?と小生は推察しています。

【関東管領一覧】

 斯波家長 建武三年〜建武四年
 高 重茂 建武四年〜貞和五年
 上杉憲顕 暦応三年〜観応二年
 高 師冬 延元三年〜興国元年(両管領)
 上杉憲顕 延元五年〜正平六年(両管領、二度目)
 高 重茂 興国五年〜正平四年(両管領)
 高 師冬 正平五年〜正平六年(両管領)
 畠山国清 正平八年〜正平十六年
 高 師有 正平十六年〜正平十八年 
 上杉憲春 正平十九年
 上杉憲顕 正平二一年〜正平二三年(三度目)
 上杉能憲 正平二三年〜天授四年
 上杉朝房 正平二三年〜建徳元年(両管領)
 上杉朝宗 天授二年(両管領)
 上杉憲春 天授二年(両管領、二度目)
 上杉憲方 天授五年〜明徳三年
 上杉憲孝 明徳三年〜応永元年
 上杉朝宗 応永二年〜応永十二年(二度目)
 上杉憲定 応永十二年〜応永十八年(上野守護)
 上杉禅秀 応永十八年〜応永二二年
 上杉憲基 応永二二年〜応永二五年(上野守護)
 上杉憲実 応永二六年〜永享十一年(資料上で確認できる最後の上野守護)
 上杉憲忠 文安四年〜亨徳三年
 上杉房顕 亨徳四年〜文正元年
 上杉顕定 文正元年〜永正7年
 上杉顕実 永正七年〜永正十二年
 上杉憲房 永正十二年〜大永五年
 上杉憲広 大永五年〜亨禄四年
 上杉憲政 亨禄五年〜永禄四年
 上杉謙信 永禄四年〜天正六年
 上杉景勝?(上杉謙信から引き継がれたかどうかは不明)
 滝川一益?(関東管領に就任していたかどうかは不明。関東取次)
(これ以降は関東管領という存在そのものが確認できない)

以下、執筆中〜


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