藤井友忠 〜長野業政、一の家来〜


生年不詳〜永禄九年(1566年)

浜川城主で、長野業政の旗下で勇名を誇った武将です。
通称、豊後守。
長野十六槍の一人とされています。

武勇に優れた上に、長野業政家中では筆頭とされ家老のような位置づけであったといいます。
同じ藤井氏で藤井正安という武将も長野氏の宿老とされてる場合がありますので、藤井氏はそういう家柄なのかも。

永禄九年、業政死去に武田による西上州攻めがついに佳境を向かえ、箕輪城が囲まれました。
箕輪城と白井城の連携を立とうと箕輪の北方に布陣した武田勝頼(この時初陣と言う説も)に対して寡兵で突撃をしかけ首をとる寸前まで追い込んだものの、背後から原胤元の隊に攻められ友忠も斬られたとか。

ただ、この話は『武田三代軍記』という軍記物では間逆の話になっています。
永禄六年(1563年)の西上野攻めで初陣となった勝頼は友忠を見付け決闘を申し込んだが、友忠は勝頼の咆哮に恐れをなして逃げ出してしまいます。
勝頼は逃げる友忠に飛び掛り、その首を切ったとか。

まぁ、年数の違いはあれども結果は同じですから視点の違いの可能性もありますけどね。

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