塩原太助 〜奉公人はかくあるべし〜


寛保三年(1743)〜文化十三年(1816)

 旧新治村生まれ
上毛カルタ「沼田城下の塩原太助」

新治村の農家に生まれた太助は、若き頃に志を抱き両親の制止を聞かず一念発起江戸に渡りました。
奉公先を探すもなかなか見出せず絶望から自殺を図ろうとした際に声を掛けた炭商山口屋善右衛門の元で奉公をすることとなります。

その堅実な働きぶりは周囲を感動させ、「奉公人の鑑」と称せられました。
二十三年間に及び山口屋での奉公の中で、湯島無縁坂の改修、中山村の反峠に渋茶の接待所、伊香保より榛名神社に通じる天神峠に常夜燈を建て往来の者の便を計るなど、公共事業を行い、人々のために私財を投じます。

三十八歳のとき、遂に独立し自前の店子を構え、四十二歳で結婚します。
その後、夫婦ともども堅実に商売を続け、ついに幕府から公儀のお金御用を勤めるよう命じられました。

一身代で豪商と呼ばれる身分にまで立身を遂げた太助は文化十三年に七十三歳でこの世を去ります。

その活動は明治初期に三遊亭円朝により講談「塩原太助一代記」としてまとめられ現代に残っています。

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