湛光風車 〜長野業政の耳目となった虚無僧〜


生没年不詳

普化宗・・・・というと、中々イメージ湧かないでしょうか。
いわゆる「虚無僧」を出している禅宗の宗派です。
その普化宗の僧侶として、軍記物等や、地方の史書に名前が出ているのが、湛光風車という僧侶です。
僧侶とはいえ、この湛光風車・・・実は忍び働きで活躍していたようです。

生まれは相模国のようで、後に長野業政の招きに応じて配下を連れて上州に来たようです。
どこにどう接点があったのかはわかりませんが・・・

「上野国誌」という書物には「長野家に乱破大将軍というものがいた。長野家が滅んだ後、上州二残って、慶長・寛永の頃までいた」という記述があります。
この「乱破大将軍」が、いわゆる湛光風車のことを指していると思われます。

長野氏滅亡後は、和田(高崎)の慈上寺という寺で、虚無僧生活をしながら情報収集していたようです。
しかし、時代が下るにつれ、その寺もいつの間にかなくなり、湛光風車の消息も杳として知れません。

長野業政・業盛が武田軍の侵攻を何度も跳ね返した事は、このような忍びの者による情報収集に支えられていたのかもしれませんね。

講談や小説には、何度か名前を出す湛光風車ですが、実態はイマイチよくわからないようです。
まぁ、忍者ってのは大概そういうものでしょうけど・・・


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