葛原親王 〜平家の祖は上州にあり!〜


延暦五年(西暦786年/皇紀1446年)、桓武天皇と夫人の地位にあった多治比真人真宗の子として生まれました。

この葛原親王の子である高見王の子、つまり葛原親王の孫が平高望です。
この平高望こそが、平家の始まりとなります。
ゆえに葛原親王は、平将門や平清盛の直接のご先祖様となります。

有名な平家物語にもその事が書かれており「祇園精舎の〜」で始まる有名な冒頭部分に続いて平清盛の出自の紹介の部分で「桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王」という一文があります。
実際に第五子であるかどうかは、諸説別れています(桓武天皇は子沢山のため数え方や順番がいろいろある)。

幼い時から非常に聡明であったらしく、驕慢でなく生活正しく史書をよく読み朝廷からは大事にされたようで、宮中内裏まで車両による乗り入れを許されていたようです。

天長三年(西暦826年/皇紀1486年)に上野太守となり。

天長八年(西暦831年/皇紀1491年)には存命のうちに叙せられる事がきわめて稀である一品親王となっています。
これは実に80年ぶりのことで、平安時代では最初の出来事です。

他、上毛との係わりと言いえば、忘れてならない迦葉山。

日本一の天狗の面で有名な群馬県沼田市にある迦葉山弥勒寺は葛原親王の発願により慈覚大師円仁の手で護国禅寺が建立されました。
ちなみに、その中の木造が葛原親王であるという説があります。

「かずわらしんのう」と読むのが一般的ですが、迦葉山だと「かどわらしんのう」と読んでいるようで・・・
仁寿三年(西暦853年/皇紀1514年)六月四日、六十八歳で薨去。
親王の遺言により朝廷による葬儀は辞退するなど、最後まで慎み深い人生であったようです。

親王の陵墓及び邸宅跡とされるものが、京都府の大山崎町円明寺字葛原(ここではかつらはらと読む)にあるそうです。

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