加藤段蔵 〜出る杭は討たれる?〜


文亀三年(西暦1503年)〜永禄十二年(西暦1569年)

常陸(現在の茨城)出身と言われる、日本屈指の忍者です。
詳しい生い立ち等は不明ですが、「飛び(鳶)加藤」とも言われました。

諸国をわたり、直江津(現在の上越市)にて、生きてる牛を呑みこむという幻術を行ったところ、長尾景虎の眼にとまったようです。
(ちなみに、この「呑牛の術」は別の誰かに見破られたものの、段蔵が見破ったものをその場で幻術で打ち取ったという話もあります)

加藤段蔵の能力を量るために、景虎は重臣直江景綱所有の長刀を盗んでみるよう命じました。
段蔵は、その夜に直江家に忍び込み、長刀の他に侍女を同時に盗み出し、景虎に報告します。

景虎は、段蔵の才能を評価したものの、忍びの者である段蔵が敵に回る事を危惧し部下に段蔵の処分(つまり殺害)を命じます。
それを感じた段蔵は越後を離れ、今度は甲斐の武田信玄の下に身を寄せました。

しかし、信玄も段蔵の優れた能力に恐れてしまい、永禄十二年に段蔵が厠に入った隙を伺い、殺害してしまいます。
享年66歳
段蔵を殺害した武田方の武将は、馬場信春とも土屋昌次とも言われています。

「飛び(鳶)加藤」と言われながらも、優れた能力な名のとおりの身体能力ではなく、幻術の類であったと推察されています。

ところで、群馬との関係ですが・・・
一説によれば、加藤段蔵は長野業政に仕えていたとも言われています。
ま、それだけなんですけどw

実のところは、長野業政の命で武田信玄の暗殺のために武田家仕官を狙っていた・・・と想像するのも面白いかもしれませんね。

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