上杉顕定 〜関東管領在位四十年〜


享徳三年(1454)〜永正七年(1510)

関東管領、上野・武蔵・伊豆守護の役職についた室町時代の大名です。

上杉顕定は越後守護の上杉房定の二男として生まれました。
なにもなければ、越後上杉家で生活していたかもしれません。

寛正七年、顕定十三歳の頃に時の関東管領であった上杉房顕が古河公方と対立している最中に陣没しました。
房顕には子が無かったので周辺の上杉氏から養子を迎えることとなり、房定の子の誰かに白羽の矢が立ちます。
房定は当初拒否しますが、幕府より斡旋が入り、結果として顕定が養子に入り関東管領職を継ぐ事で決着します。

これが、顕定の長きにわたる関東管領人生の始まりでした。
管領職を継いだものの時代は享徳の乱の真っ最中であり古河公方との争いは一向に収まる気配はありません。
顕定は家宰である長尾景信や各地の国人と奮戦し、一時は古河公方の本拠地である古河御所を奪取する活躍を見せます。

しかし、文明五年に家宰であった長尾景信が五十子陣で病没。
顕定は家宰職を長尾忠景に与えることとしました。
これに反発した長尾景春は山内上杉家を出奔し、古河公方に味方します。
長尾景春の乱の始まりです。
長尾景信と景春は白井長尾氏ですが、忠景は惣社長尾氏であったため、景春が反発したことが原因と言われています。

乱を起こした景春の勢いは凄まじく享徳の乱で上杉方が本陣にしていた五十子陣は陥落し、顕定は窮地に立たされます。
この乱を契機として、上杉氏と古河公方が距離を縮めることとなり、和睦の機運が高まりました。
長尾景春の乱そのものは、扇谷上杉家の家宰である太田道灌の活躍により鎮圧されます。
景春の乱の鎮圧の余波を受け、文明十四年に幕府の仲裁も入り三十年近く続いた享徳の乱は終結しました。

しかし、古河公方という共通の敵が無くなったため、従来から燻っていた上杉氏内の対立が再燃し始める中、太田道灌が扇谷上杉定正の屋敷である糟屋館にて暗殺されました。
理由は諸説ありますが、山内上杉の陰謀とも家中で権力が増した道灌に対する扇谷上杉定正の疑心暗鬼からともいわれています。
そしてこの道灌暗殺により扇谷派だった国人等の一部が山内派に寝返り、これらの流れを契機に翌長享元年に世に言う長享の乱が始まり、山内上杉と扇谷上杉が直接対立するようになりました。
個々の戦(実蒔原・須賀谷・高見原等の合戦)では扇谷上杉定正に敗北し続けますが、実態は山内が本家筋で扇谷は分家筋であり、もともとの地盤力や味方する豪族の数が違うため次第に顕定が有利になります。

情勢を見た扇谷上杉定正は、伊豆一国を治めている伊勢盛時の力を借りようとしますが、定正が途中で没したために伊勢勢は撤退。
定正死去を契機に顕定は攻勢を強め相模にまで進出するようになり、伊勢盛時の弟が拠っていた小田原城も落とします。
しかし、駿河の今川氏親、伊豆の伊勢盛時の援軍を得た扇谷上杉朝良(定正の甥で養子)と戦った立河原合戦で大敗、窮地に陥ります。
ここで、顕定の実家である越後上杉家から援軍が来訪し、形勢が逆転。
翌年には扇谷上杉家の本拠である河越城を囲み、ここで扇谷上杉は降伏し、上杉朝良を隠居させ長享の乱は終結しました。

ようやく、顕定が長年にわたり関東管領として関東の安寧や秩序の再構築に本腰を入れる時がきました。
手始めに古河公方足利政氏の弟である足利四郎(後の上杉顕実)を養子として迎え入れ、次代の関東管領とする事を決め、公方と管領家の融和を図りました。
また、山内・扇谷両家の婚姻を進め、上杉家内の結束を固めるように取り計らいます。
これで関東に久方ぶりの安定がくるかと思われた矢先に事件は起こりました。

永正四年、顕定の実家である越後上杉氏の当主であり越後守護職であった顕定の実弟の房能が、守護代長尾為景(長尾景虎の父)に攻め滅ぼされ、房能は自害します。
これを知った顕定は為景討伐の軍勢を起こしました。
一時は府内(直江津)まで制圧し、長尾為景を佐渡に逃亡させますが、越後国人の支持を得られず、また佐渡の兵を引き連れて反撃してきた為景にも悩まされます。
ひとまず上州に帰還すべく三国峠を目指す最中に、魚沼長森原の地(現在の新潟県南魚沼市)にて戦となり顕定は戦死します。
享年五十七歳

管領在任期間、実に四十年の長きにわたり、末期では管領家による関東統一も目前かと思われましたが越後にてその野望は潰えました。
享徳の乱、長尾景春の乱、永享の乱を見事にわたりぬいた上杉顕定のバランス力は、評価に値する面もあるやに思われます。
その後の山内家は養子どうしのお決まりの内紛に加え、伊勢氏(後の北條氏)の相模・武蔵侵略や、長尾景春の再度の反攻等が起き、山内上杉家の勢力は緩やかに衰微をはじめます。

現在、上杉顕定の戦死した地には「管領塚」という塚があり、史跡公園として整備されています。

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