南北問題
 〜日本史世界史を問わず法則性があるかもしれない〜


えー、まずはばっさり結論。
韓国では北朝鮮に勝てません(笑)
嘘です。韓国の人申し訳ないw

ぼさーっと家の本棚を眺めていたら、「炎立つ」が並んでいた。文庫版。
「東北かー」と思って、「そうか。北伐だなー」と思ったら三国志。

ここで歴史を思い出す

「南の政権が北の政権を打倒する例は世界史的にマレ」

通常、南は北には勝てない

足利南北朝は、北朝勝利・・・いろいろ解釈はあるけど。
米南北戦争は、北軍勝利。
支那南北時代、隋(北)が陳(南)を制覇。
大蒙古帝国、言うに及ばず
イタリア統一もそうだった。
プロイセン王国によるドイツ統一。
インド亜大陸もそう。
辛亥革命以降の支那史も結局南京政府(国民党)が台湾に撤退
ベトナム戦争もそうだったような感じ

ま、世界史とか得意じゃないので(笑)

たとえば、途中経過で南朝が制覇するという例もあるわけで、それは「西楚」と「明」が有名
西楚とは覇王項羽が秦を倒し打ち立てた王朝。
皇帝は最初義帝がいるも、後、項羽により謀殺。
だがしかし、劉邦の漢により費えてしまう。日本の教科書では王朝として扱わないものも多い。

明は有名か。
流浪の英雄朱元璋が打ち立てた久々の漢民族国家。民の前の漢民族国家は宋まで戻らなきゃ行けない。
しかして南京に都を置いた明も、靖難の変を経て帝都が北京に・・・

そう

南より北が強い!

これは、歴史がある程度証明しているといってもいいくらい、結構の事例が残っています。
しかしてそれを打ち破りつつ、「南から攻めあがった政権がいまだに支配している国」がある。
それは・・・・

日本とグレートブリテン北部アイルランド連合王国(以降、UK)

足利南北朝と書いたけど、あれもいわゆる「京都と吉野」だから、京都を中心で見れば反乱と言えるかもしれないし今の歴史上は「南朝が正当」だから、やはり日本は「南で起こった政権が天下制覇した」わけですね。

では、この両国により「滅ぼされた北部勢力」は、いったいどういうものだったか?

日本で言えば大きいものは3つ。
エミシと呼ばれる勢力と、奥州藤原氏に連なる東北勢力と、徳川政権の残党

UKで言えばスコットランド王国

まー、なんだ。
徳川政権の話は除外。戊辰戦争の話はいろんな人が論評していますので。
エミシと奥州藤原氏については、いろいろ話があります
エミシというと聞きなれない人もいるかもですが「アテルイ」とかは教科書にも出ていたと思いますね。
坂上田村麻呂、史上二人目の征夷大将軍に、攻め滅ぼされた当時の東北地方の指導的立場にいた人物ですね。

坂上田村麻呂の話では、敵対する勢力の頭目は「悪路王」と表記されとりますがアテルイと同一であるという説もあります。
このあたりは、史実ではよくわからない
ただ、後の奥州藤原氏に先駆けて東北の王であった安倍氏と無関係とは言い切れないと思う。
また、安倍氏は天武帝時代前後に東北を侵略した阿倍比羅夫からの系図とも言われたり、神武帝の東征で敗北したナガスネヒコ・アビヒコ兄弟の末であるともいう
(↑ここからすでに南部有利な伝説になっている)

最終的には源家に滅ぼされちゃうのよねー
そして、その源家は、まー、なんつーか薩長に北に追いやられて滅亡
うーむ、歴史の皮肉・・・・
あ、でも島津氏は「頼朝の落胤」伝説あるな。史実上なら、秦氏の後裔だけど源氏の可能性もあるわけか。
長州藩毛利氏は大江氏の末で、大江氏といえば頼朝の側近大江広元や義家とゆかりのある大江匡房を思い出す。
なんか、源氏どおしの争いっぽいなーw

奥州の騒乱については、高橋克彦著「炎立つ」に詳しいけど、まあ、小説です。
あらすじや人物像は俯瞰しているかもしれないけど、どこまでが史実でどこからが創作がわかりませんので、参考とするために読むのはお勧めしますが、全肯定はお勧めしません。

さて、今度は奥州ではなく欧州の話。
グレートブリテンは「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」なわけだけど、グレートブリテンになどこが含まれているか?ということの中で「南が北を押さえた」という話につながる。
グレートブリテンは、イングランド・ウェールズ・スコットランドの三つの国が同君連合から同一国家に変遷した結果でございます。

スコットランドは、結局最終的には同君連合から同一王国として今はUKの一翼を担っています
17世紀にジェームズ6世がイングランド王との同君となり、100年後には同君連合ではなくイングランドと合同しグレートブリテン王国になります。

んで、ジェームズ6世ってのがスコットランド王のときにイングランド王も兼ねる事になっとったんだけど、同君連合から同一王国になるまでなんだかんだですったもんだがあって、最終的にはブリテン島の首都はロンドンだし、ステュアート朝は断絶しているし。
ま、ステュアート朝の後継のハノーヴァー朝の最初の君主であるジョージ1世もステュアート朝とは血縁があるけど、やはり流れからみれば、スコットランド王が勝ったといえるのかどうか
スクーンの石が最近までロンドンにあったことからも、そうだぃねという感じ

ところで、日本でいう安倍一族のように「スコットランドでの反イングランドの英雄は?」という話になると、多分この人だろうというのが二名

ロバート・ブルース(ブルース1世)と、ウィリアム・ウォレス

二人とも、負けたり勝ったりだけど、最終的にはスコットランドの主権を守るために戦ってるですね
ま、最終的な死に場所は違うけど
特にウォレスなんかは、平民出身だったからスコットランド貴族に疎まれてイングランドに捕らえられて処刑されちゃうし
ウォレスの話は「ブレイブ・ハート」で映画化されています。見てないけどw

ブルース1世は、あんまり戦が強いというわけじゃないけど、まあまあ勝ったり負けたりで、一度は負けて洞窟に逃げて落ち込んでいたところで「壊された蜘蛛の巣を張りなおす蜘蛛」をみて再チャレンジ(笑)を目指して最終的にはスコットランドの王権を認めさせるという話でござんす。
スコットランドの歴史をさかのぼれば、アルバとダルリアダが争っていたけど、ダルリアダがアルバを攻略してスコットランド統一というのも、奥州の安倍氏と清原氏の話みたくなかなかにして興味深い。

まあ、なんだかんだで、歴史的には南が勝つことは稀ということでw
いつもどおり、ぐだぐだのぐずぐずw


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