「運も実力のうち?!」


久々、田中芳樹の新作を読んだ。

書籍紹介

蘭陵王 田中芳樹著
(別のウィンドウで開きます。)


具体な書籍の感想は上記レビュに寄っていただきたいが、「ああ、どの時代にもある事なのだなぁ」と思わせたのが文中にあった「隋の文帝(楊堅)はラッキーだったのでは」という主旨の記述である。

なになに?と目を負ってみると、なるほどと思わせる内容である。

書籍から引用してみよう。

『隋が陳を併呑し、西晋以来の天下統一を成し遂げるのは西暦五八九年、文帝・楊堅が四十九歳のとき。このとき生きて在れば、蘭陵王・高長恭は四十三歳、周の武帝・宇文邕は四十七歳、斉王・宇文憲は四十六歳になっていたはずである。強力な敵対者となるべき者はすべて死んでいた。』

と、書いてあり、続けて

『「古来、天下を得るの易き、未だ文帝の如き者あらず」(趙翼『二十二史劄記』)』

という文章の引用を続けている。
まあ、これには著者も『文帝・楊堅には辛辣すぎる。』とはフォローを入れている。

まあ、だいたいその通りの意味なのだが「楊堅はライバルとなるべき人達が先に舞台から退場していたので、簡単に天下を取った」と言う事。

今まで気づかなかったが言われてみれば確かにその通りだろうと思う。

陳瞬臣著の「小説・十八史略」では、元の曾先之が編纂した「十八史略」のダイジェスト版のようなもので、陳氏による「小説」だから、さらりとしか触れていない部分であり、なかなか気づかなかった事は小生の目と読解力の不足を嘆くばかりである。

ただ、曾先之による十八史略は「陳書」「北斉書」「周書」すべてが含まれているので、田中芳樹の本作にあるように「新・三国時代」と表現してもおかしくない乱世の名残であった隋初の一端で上記のような「楊堅ラッキー説」が出てくるのも無理はないだろう。

「旧三国時代?」における晋の司馬炎も結局「残敵が対立するような力を持ち得なかった」という点から行けば同類かもしれない。

実際は楊堅には楊堅なりの苦労や努力があった事は間違いないが、確かに歴史を俯瞰すれば、楊堅のような事例は幾らか散見される。

日本人から見れば、もっとも有名になるのは、やはり徳川家康の事例となるだろうか。

上記にも挙げた「古来、天下を得るの易き、未だ文帝の如き者あらず」と、余りにも主意が似ている日本のことわざがある。

「織田がこね、羽柴がつきし天下餅、座りしままに食うは徳川」

多少、文章語彙に差のあるものが流布しているが、だいたいそういう内容で、要は「座っているだけで天下が転がり込んできた」という事である。

これも、楊堅と同じで家康には家康の努力や苦労があった事は間違いない。

そして楊堅とは違い、徳川政権は一応短命では終わらなかったことから家康の政権構想は楊堅よりは出来の良いものだったかもしれない。

「かもしれない」と書いた点は、隋の滅亡は制度設計の問題では無く二代目が主要因を占めているので、どちらかと言えば「後継者選び」で家康は成功した・・・という表現も正しい「かもしれない」。

んー、まあ家康もラッキー要素高いけど、日本一ラッキーと言えば、やはり足利義教か?
なにせ籤で選ばれているんだから・・・

まあ、なんですか。
つらつらと雑談的な話を書きましてすいません。

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