桃太郎考


<1>
「も〜もたろさん、も〜もたろさん、お腰につけた黍団子、一つ私に下さいな〜♪」

日本人なら誰でも(最近はどうかな?)知っている英雄譚「桃太郎伝説」を唱歌として国民に広めた歌ですね。

英雄譚は全世界にありますが、内容についてはステレオタイプがあるのでしょうか、話の本筋は似通っている物が多いようです。
大まかに分けると「貴種流離譚」と「悪人退治」、そしてそれらの混合型ですかね。
貴種流離譚で有名なものといえば「ヘラクレス伝説」や「西遊記」などの高貴な人や特別な力をもった人の冒険話ですね。
「竹取物語」も読み取り方次第でこれに当てはまります。
悪人退治は、これはもう種類が多すぎてどれが代表作かわかりませんが「アーサー王伝説」や「水滸伝」、それに今回話をする「桃太郎」もこれに当てはまります。
でもまあ極論すれば、全ての作品に混合型に当てはまりますので分類については諸説分かれると想います。

では、本題である桃太郎の話に戻りましょう。
皆さんは桃太郎の大筋のプロットはご存知でしょうか?
おそらく、一番メジャーであると思われる話を以下に簡潔に書いてみましょう。

 昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。
 二人には子供はおらず、それぞれ平凡に生活していました。
 ある日、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に出かけました。
 お婆さんが川で洗濯をしていると、川の上流から大きな桃が流れてきました。
 お婆さんは桃を拾い上げ、家で食べようと考え持ち帰ります。
 お爺さんとお婆さんは早速桃を割ります。
 するとどうした事でしょう、桃の中から元気な男の子が出てきました。
 子供のいなかった二人は驚き、かつ喜んでこの子を育てることとしました。
 この子は「桃太郎」と名づけられスクスク成長していきます。
 やがて立派になった桃太郎は近隣の荒らしているという鬼の話を聞きます。
 桃太郎は旅立ちを決意した事をお爺さんとお婆さんに伝えます。
 お爺さんとお婆さんは桃太郎のために旗指し物や鎧刀、そして黍団子を授けます。
 鬼たちは鬼が島に住んでいるとのことであるため、桃太郎は出発します。
 旅の途中、桃太郎は犬、猿、雉の三匹に黍団子を与えて子分としました。
 そして鬼が島についた桃太郎一行は見事鬼を退治します。
 鬼を退治した桃太郎は鬼が島に蓄えてあった金銀財宝を持ち帰ります。
 そしてお爺さんやお婆さん、お供の三匹と裕福な生活を送りましたとさ。
 めでたし、めでたし。

多少、細かい点で読んだ書物によって違うかもしれませんが大方こんな感じのストーリーだったはずです。
最近は、「鬼を討伐し財宝を奪取した後一族で裕福に暮らした」という内容が「略奪や暴力的なイメージを連想させる」そうで、「鬼を説得し改心させた後、財宝を村の皆に平等に分け合い平和に暮らした」といった内容に書き換えられているようです。
こんな馬鹿馬鹿しい話を言い出すのはおそらく共産党や社会党崩れの気違い集団でしょうが、もはや笑うしかないですな。

<2>
さて、昔話や伝承の類というものは必ずといっていいほどモデルケースとなる事件や事象が存在するものです。
では、桃太郎はどのようなことから派生した話なのでしょうか?
それを語るには桃太郎が「どこの話」なのかを考えねばなりません。
ステレオタイプな伝説としては、一番有名なのがおそらく岡山県でしょう。
しかし、調べてみるとどうも違うようです。
北から順に宮城、山梨、愛知、奈良、岡山、香川などが上げられます。
そしてそれぞれに微妙に内容が違います。
ま、それはしょうがないのですが、明らかに「おや?」という話も存在します。

例えば岡山のある地方では・・・・
 桃太郎は桃から生まれ、爺さんと婆さんに育てられている。
 しかし、働かないで寝てばっかり。仕事もせずに寝てばっかり。
といった話もあります。これなどは明らかに三年寝太郎のような話です。
また、同じく岡山で、「犬・猿・雉」ではなく「臼・牛糞・蜂・蟹・鉄砲玉」がお供であったという民話もあります。
牛糞がどう闘うのかは置いておいて興味深い話ですし、猿蟹合戦が混ざっている感じもします。

また、桃から生まれたのではなく、川から流れた桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返り、子供を作り、生まれた子供を桃太郎と名づけたという話もあります。
こちらは地域的な話ではなく、明治時代初期に最初に発刊された桃太郎はこういった話だったようです。

しかし、総じて西日本側(奈良、岡山、香川)の桃太郎伝説は下敷きが同じのようです。
それは「朝廷征伐説」をモデルケースにしています。
朝廷征伐説の概要は下記のとおりです。

第十代祟神天皇の時代に、山陽地方に温羅(うら)という新羅系渡来人(百済ともいわれる)の皇子とその一族が住んでいました。
温羅一族は製鉄技術に長けており、鉄製の武器・農具を用いて周辺を統治していましたが、大和統一をもくろむ大和政権にとっては討伐の対象です。
そこで、祟神天皇は吉備津彦命(きびつひこのみこと)に命じて温羅一族の征伐を行います。
吉備津彦命は、指令に従い征伐に向かい見事温羅とその一党を屈服させ、首領の温羅は首を刎ねられました。
こうして吉備津彦命は温羅一族の貯めた財宝と製鉄技術を持ち帰り大和朝廷はますます繁栄することとなりました。

以上が簡単な概略です。
もちろん、単なる伝承ですから細部については読む書物次第で変わります。
上記は温羅の首と吉備津彦自身を祭る「吉備津神社(岡山県)」による伝承ですが、例えば古事記では考霊天皇が自分の子に命じた事になっています。
ですが、日本書紀では祟神天皇の四道将軍に各地の征伐を命じ、そのうち西道将軍(山陽地方担当)が吉備津彦となっています。
ちなみに吉備津神社の周辺には「朝廷軍と温羅軍の矢が落ちた場所」などがあります。

では、東日本はどうなっているのでしょうか?
東日本については、周辺の山賊退治がメインです。
そして鬼、犬、猿、雉等に関連した地名が周辺にあることが多く、一概に朝廷征伐とは違う地域的な話に終始している物が多いようです。
中でも山梨県については、大月市に猿橋という有名な橋がありますがずばりあれが桃太郎伝説の「猿」に絡んでくるそうです。(その他、猿橋の近くに「犬耳」「鳥鳴」という地名があります)

これだけで比べてみると西日本の朝廷征伐説をベースにした説話が各地に広がりそれにこじつけた形で山賊退治を説話化したのではという推察が成り立ちます。

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さて、ここで疑問が出てきます。
西日本の伝説では「桃」はほとんど絡んできません。
逆に東日本では、愛知や山梨においては川の上流に桃の産地があるという話を基本にしています。
山梨では桃が流れてきた川は桃倉山(現在は百蔵川)から流れてくる事になっています。
岡山も桃が有名といえば、確かにそうですが、征伐にあたった場所が桃が有名であくまで主人公である吉備津彦は奈良の生まれです。
歴史上の伝説としては、西日本の「朝廷征伐説」を下敷きにしているにもかかわらず桃に絞った形でみると東日本に源流があるのではないかと思えてきます。

本当のところ話の発祥はどこなのでしょう?
それに桃のことを考えると、どうしても犬・猿・雉も考えたくなります。当然鬼も考えねばなりません。

ここで一番簡単に答えが出せるのが鬼です。
一般に知られている鬼とは角を生やした大男です。
怪力があり辺りを荒らしまわり財宝や女を奪うというものです。
「鬼」の起源を調べると「隠(おぬ)」が訛ったという説が有力のようです。
鬼という字の初出は日本書紀に見ることができます。
平安時代までの鬼というものは「稀人」といいまして、蓑を着てかさを被ったちょうど秋田のナマハゲのようなものだったとも言います。

しかし、「鬼」のイメージは「隠」が訛ったという音の問題ではなく、隠、つまり陰から出てくるとか陰に潜むといった「正体不明」というイメージでは無いかと考えられます。
つまり「想像の範疇の外のもの」→「知らないところの者」→「よそ者」といった想像の連鎖から鬼とはよその土地から来た者ではないのでしょうか?

となると、やはり「鬼」として表現できるのは西日本起源の温羅伝説の方が適切ではないでしょうか?

そして、「犬・猿・雉」も実は鬼をベースに解読できます。
鬼のイメージは先ほど「稀人」と表現しましたが、現在世の中に流布している鬼は角を生やした虎縞の腰蓑というものが一般的です。
これは方位を十二支で分ける方位学のから来ており、鬼はよく鬼門から来るといわれますが、鬼門は北東、北東は丑寅の方向です。
つまり、牛の角と、虎の模様で鬼のイメージな訳ですね。
そして、裏鬼門という方角は南西にあたり、申酉戌つまり、猿・鳥(雉)・犬が裏鬼門を守護する動物で、鬼門の正反対なので鬼を退けると言われています。
地名に犬・猿・雉があるものはこれをこじつけたのではないでしょうか?

こうなると、やはり最後に残るのは「桃」となります。
鬼や犬猿雉が、多分に昔の信仰に近い形で表現されていたのならば、桃もそれにのっとり何か考えられないでしょうか?
桃という果物は昔から神聖な果物とされてきました。
理由はいろいろありますが「桃栗三年」などというようにすぐに実が付くことから生命の象徴とされたりしているからですかね?
西王母という支那の神様は蟠桃園というところで桃を栽培しており、三千年、六千年、九千年にそれぞれ実をつけるそうです。
西遊記でもこの話は出てきますね。
こういった話の流れで桃は魔よけになると考えられてきました。
ということで、特に道教の信仰が強い支那では日本よりも桃を重要視した節があります。
神仙思想によれば夢のような国である「桃源郷」はその名のとおり桃が咲き乱れる夢の国であり、封神演義等においても仙人界での主要な作物は桃となっています。
そういった神仙思想が流れてきて、桃は神聖な果物とされたため、「鬼退治」に魔よけの桃を必要としたわけですね。

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しかし、やはり桃は結びつきません。
無理に桃を持ってくることに違和感を感じてしまいます。
では、視点を変えてみましょう。
先ほどまで西日本主流説を取っていましたが、東日本が発端だとしてみたら?

こう考えて見ました。
西日本には西日本で吉備津彦伝説が出来上がっていた。
そんな中で東日本に伝播して行き、桃の産地での山賊退治の逸話と結びつき西日本に逆流したのではないでしょうか?

そして岡山の一部に残るぐうたらな桃太郎等は「桃から生まれた〜」の部分のみが一人歩きし別の説話を作ったのかも知れません。

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と、まあここまでいろいろ考えてみましたが、やはり普通のサラリーマンには限界があるようで、まともに時間をかけて全国を回り古い資料や古文書を読み解いてみたいものです。
まだある新事実が出てくるかもしれませんし、もしかしから支那や朝鮮に話の原型になるようなそっくりの説話があるかもしれません。
そもそも竹取物語が源氏物語で紹介されているとか、御伽草子に話が載っていたとかいうならもっとわかるのでしょうけど、桃太郎が紹介されている最古の原書ですら江戸時代だというところが話の謎を深めているかもしれません。
新解釈がでたらもう一度取り組んでみたいと思います。

そういえば、新解釈といえば、こんな話もあります。
 川の上流で神仙の桃の樹があった。
 その樹には千年に一度桃の実がなる。
 ふとしたときに三本足の八咫烏がその桃の樹の枝に止まった。
 すると、その揺れで桃の実は川に落ちてしまった。
 川の下流で洗濯していたばあ様が実を拾い食べようとした。
 すると桃の実は割れ、中から男児が出てきたとさ。
 桃太郎と名づけられた男児は成長するにつれ、乱暴者となった。
 辟易していた老夫妻は、仕事もせずぶらぶらする桃太郎に困っていた。
 そんな中、桃太郎は鬼が住む噂を聞き、暇つぶしに退治することにした。
 老夫妻は桃太郎に黍団子と鎧刀、旗指物を授け旅立たせた。
 桃太郎は旅の途中、犬に出会う。
 犬は「黍団子一つくれれば仲間になる」といいました。
 しかし桃太郎は値切り、黍団子半分で仲間にしました。
 次に猿にあいましたが、同じようにすったもんだの問答をしました。
 結果、猿も黍団子半分で仲間になります。
 雉にもあいますが、結果は一緒。
 旅の途中で犬が猿をバカにして猿は雉をバカにします。
 そして雉が犬をバカにするもんだから収拾つかなくなります。
 挙句には「黍団子半分で鬼退治なんか!」と三匹が文句を言い出す始末。
 桃太郎はしかたなく「鬼の貯めた財宝分けるから」と三匹をなだめました。
 三匹は一応納得して旅を続け、ついに鬼の住処に到着しました。
 当時、鬼の住んでいたところは鬼が島で絶海の楽園であった。
 島には椰子の樹が生え、鬼は生活を楽しんでいた。
 鬼が悪人だったかどうかはわからない。
 桃太郎は鬼が島に着くと即座に攻撃を開始。
 犬・猿・雉もそれぞれ攻撃します。
 犬は鬼の若者を一噛みで噛み殺す。
 猿は鬼の娘を犯した挙句絞め殺す。
 雉は鬼の子供の目を付き、殺した。
 結局鬼は破れ、桃太郎に降伏した。
 降伏した鬼の首領は桃太郎に問うた。
 「何ゆえ、私どもが襲われるのですか?何か無礼でも?」
 「天下の桃太郎に三匹のお供ができたから退治に来たのだ!」
 鬼はただただ平伏するだけだった。
 桃太郎は鬼の子を人質に凱旋するが、晩年は不孝であった。
 鬼の子が成長すると、仇とばかりに雉を殺し脱走する。
 猿も殺された。桃太郎も家に火をつけられる。
 桃太郎と犬はただただ唸るばかりであった。
 「鬼とは執念深いものだなぁ」

原文はこれではありませんが、概要はこんな感じの桃太郎伝説です。
実に生々しい。
書いたのは、誰あろう芥川龍之介。

ま、原点が謎である分、解釈もいろいろ膨らむので今後、何か面白い解釈が出てくれることを期待して、筆をおこうと思います。

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